源氏1951批評1:解禁された不倫托卵の物語
先日、大河ドラマ『光る君へ』の第27回が放送され、主人公のまひろは藤原宣孝と結婚している身でありながら藤原道長と密通して、娘を産む展開になりました。
源氏物語の中核を占めているのは、光源氏と藤壺、そして柏木と女三宮の間で生じる不倫托卵話です。『光る君へ』には源氏物語のオマージュが散りばめられているので、最大のオマージュとなる不倫托卵話を入れてくるだろうと予想していて、実際その予想通りになりました。
ところで、私は某匿名掲示板で大河ドラマを語る場所によく行くのですが、先にガイド本が発行されてこうした不倫托卵の展開になることが明らかにされてからというもの、非常な反発意見が多く書き込まれてきました。正直なところ、こんなに反発が多いことに少し唖然としております。
ワイ「ただの作り話に、なんでそんなに発狂するんじゃ…?😥」
…と思うのですが、源氏物語の受容史を振り返ってみれば、こうした反発はあって当然なのかもしれないという気もしてきます。源氏物語のとりわけ光源氏と藤壺の不義密通と冷泉帝托卵の部分は抑圧されていた過去があるからです。
江戸時代後期に柳亭種彦が執筆した『偐紫田舎源氏』という源氏物語の翻案小説の描写を見ると、源氏物語に散見される不倫描写を回避しようとする姿勢が感じられるのですが、こちらの話は別の機会にするとして、これから批評しようと考えている『源氏1951』の直前の状況を見てみたいと思います。
この作品の上映から遡ること18年前の1933年11月、上演が予定されていた源氏物語の演劇が、警視庁によって上映禁止に追い込まれました。この弾圧事件を伝える当時の新聞見出しが、下記のブログ記事で紹介されています。
この上演禁止になった源氏物語演劇の脚本を書いたのは番匠谷英一でしたが、彼の源氏物語論について論じた中村ともえの論文『番匠谷英一と舟橋聖一の「源氏物語」』(下のリンクからダウンロード可能)には、この上演禁止事件の他にも、自主削除も余儀なくされるなど、源氏物語に対する様々な社会的抑圧が為されていたことが紹介されています。
この戦前の源氏物語弾圧で最も問題視されていたのは、光源氏と藤壺の不義密通に関わる部分であったようですが、この部分が問題視されたのは皇位に臣下の子供が就くというストーリーが、物語とはいえ戦前(特に昭和前期)に絶対化された天皇の権威を損なうという点にもあったのでしょう。
しかし、相手が皇妃かどうかというだけの問題ではなく、不義密通を取り扱うことそのものが問題視されていた形跡もあります。谷崎潤一郎訳源氏物語の自主削除問題を論じたWikipediaページでは、谷崎たちが最も発禁処分になる可能性が高いと警戒していたのは、空蝉に関わる部分だったと紹介されていました。
空蝉は皇妃ではないので、彼女と関わったから皇室の権威が損なわれるということはありません。ただ空蝉は人妻であるに違いないので、不倫を描くことそのものを抑圧しようとする社会的な空気があったということだと思います。
戦争が終わるまではずっとこの調子で抑圧されていたようですが、戦後になると状況は変わります。戦前まで存在していた姦通罪は1947年に廃止され、坂口安吾の堕落論のように不倫を擁護するような言説が流行する時代になりました。
そのような雰囲気がまだ冷めやらぬ頃に制作された映画が、吉村公三郎監督・長谷川一夫主演『源氏物語』(1951)であったわけです。源氏物語訳の自主削除を余儀なくされたばかりでなく『細雪』の発禁など何かと抑圧されていた谷崎潤一郎を監修に迎え、藤壺との不倫托卵の物語を中心に据えた作品となりました。
本作に登場する女君は藤壺に限りませんが、それにもかかわらずこの映画の中心にあるのは光源氏と藤壺の物語だと確かに見ることができます。どうしてそう言えるのか、次回以降に説明していきましょう。
![源氏物語(1951) [DVD] 源氏物語(1951) [DVD]](https://m.media-amazon.com/images/I/41ZYgSf17fL._SL500_.jpg)